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皆川賢太郎選手について



皆川賢太郎(みながわけんたろう)選手は日本のアルペンスキー界を代表する選手です。アルペンスキーの歴史を変えたアイデアとテクニックから革命児と呼ばれ、冬季五輪に4度出場しましたが、ソチオリンピックの代表入りができなかったことを機に、2014年に引退しました。また、プライベートではモーグルの上村愛子選手と結婚するなど注目を集めました。

皆川選手の生い立ち

皆川選手の生い立ち

新潟生まれの皆川賢太郎選手は、地元である苗場スキー場で幼少期からスキーに触れていました。高校卒業後は日本体育大学に進学し、在学中の1998年に長野冬季オリンピックへ出場しました。

皆川選手のプレースタイル

スラロームが得意で、オーストリアのキッツビュールで行なわれた1999/2000年のワールドカップでは、独自のアイデアと技術で、トップスラローマーとして世界中にその名を轟かせました。

スラロームは体の大きさがタイムに大きく影響する競技で、身長170cm前後と、プロスキーヤーとしては比較的小柄な皆川選手には決して有利な競技ではありませんでした。しかし、この大会で190~200cm程の長さのスキー板を使う出場者の中、皆川選手は168cmと極端に短いスキー板でレースに臨み、その結果、6位入賞を果たしました。スタート順が早い選手が有利なアルペンスキーにおいて、ゼッケン60番スタートという遅めのスタートから上位争いにくい込んでの6位入賞だったため、世界中を驚かせました。

今まで使いものにならないとされていた短いスキー板で上位入賞を果たしたという衝撃的な結果が、皆川選手をスラローム、ショートカービングスキーの革命児として有名にし、世界各国の選手はこれ以降の大会で短いスキー板を選ぶようになりました。

こうした独自のアイデアを持って最高の滑りを追求することが皆川選手の強みであり、大会で上位を狙う原動力になっています。

皆川選手の戦績

冬季オリンピックは、1998年の長野オリンピックから、ソルトレイクシティー、トリノ、バンクーバーと4大会連続の冬季五輪出場を果たしています。2002年に選手生命を脅かす左膝前十字靭帯断裂の重傷から、リハビリ生活を余儀なくされていました。長いリハビリ生活から復活したトリノオリンピックでは、スタート直前にバックルが外れるトラブルもありメダルこそ逃したものの、7位の湯浅直樹選手とともに4位入賞を果たしました。これは日本人選手として、1956年コルティナダンペッツォ冬季オリンピックで猪谷千春選手の銀メダル以来の、50年ぶりの快挙でした。

オリンピック出場歴

皆川選手のオリンピック出場歴は次の通りです。

  • 長野冬季オリンピック(1998年)男子回転、男子大回転 共に途中棄権
  • ソルトレイクシティー冬季オリンピック(2002年)男子回転決勝 失格
  • トリノ冬季オリンピック(2006年)男子回転決勝 4位入賞
  • バンクーバー冬季オリンピック(2010年)男子回転決勝 途中棄権

ワールドカップ出場など、主な戦歴

皆川選手のワールドカップ出場歴などを紹介します。

  • ワールドカップ オーストリア キッツビュール大会(2000年)回転 6位入賞
  • 世界選手権 オーストリア サンクト・アントン大会(2001年)男子回転 10位入賞 日本人として史上4人目となる第1シード選手に選ばれる

プライベート

2009年6月には、モーグル選手の上村愛子と結婚し、夫婦でバンクーバー冬季オリンピックに参加しました。